「丹羽・一色家の系譜を生死年・居城年から考察し、再作成」
@足利公深(一色)
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A範氏(初代九州探題・幸手) 頼行(三河)
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B直氏(二代九州探題・幸手)
C範光(丹後) 範房(三河)
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氏兼(関東一色宗家、鎌倉・幸手)
氏宗(宗家) 新井貞家(幸手)
D詮範 詮直
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女 満直 長兼(幸手) 直兼(鎌倉・葉山)
氏明(氏宗三男) 氏茂(丹羽家家老、氏明と共に丹羽と改姓) E満範 範貞
足利満兼室 ┏━━┫ ‖ ┣━━━━━┳━━━━┓
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持家 ‖ 直明(足利義嗣嫡子1412年生)
氏範 氏時? 氏盛?
範次 宗義
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直清 其阿 直清 亀乙丸 蔵主(1449年還俗)
氏従(文明三年(1471)折戸村に吹上城を築城) 甲斐系一色 女=松平信光
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直頼 氏義
氏員(本郷城主)
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┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 七代後
直朝(1597年12月没) 氏久(1602年没
) 氏興(本郷城主 1536年没)
右京亮(藤島城主) 徳川家康
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義直(1643年11月没) 義久(1650年没)
氏清(1485年生まれ1560没) ━━━━ 氏識(1497年生まれ1565没) 氏秀
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杉浦直為 = 女 照直 崇利(根岸) 崇貞(1658年死去)
氏勝(1523年生まれ1597没)
氏常(四男)
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直氏 直房 与右衛門 左京 欣浄院 八郎
氏次(1550年岩崎城に生まれ1601没) 氏重(戦死) 注1) 1552年 織田信長家督相続
氏政(美濃岩村住三百石)
┃ (二代根岸) (相木) (1683年没)
(石堂) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
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直房 ┃ × × ×
氏信(岩村二万石領主1590年生まれ1646年没) 氏資(織田信雄家臣)
重清(三男、美濃岩村住三百石))
┃ 丹右衛門 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┣━━━┳━━━┓
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氏定(岩村一万五千石領主1606年生まれ1657没) 信氏(千石をもって分家となる)
重貞 重信 重恒
丹右衛門
┃ ┣━━━┓ (一色)
(一色) (一色)
(幸手・杉浦一色家) ┃
氏純(岩村領主1637年生まれ1674没) 氏右 氏音
┃ ┃ この丹羽三兄弟は当初、岩村領主の氏音に
慶安元年(1648)喜連川家筆頭家老の
氏明(岩村領主1667年生まれ1686没) 薫氏
仕えていたが、お家騒動の後、外戚の縁により
一色崇貞親子はお家騒動の責任を取り
‖ 旧姓の一色に改姓することで尾張徳川家内の
泉州岸和田城主青山大善に預けられ、
氏音(お家騒動により領地没収後、越後国頸城郡内の一万石に減封)
一色三兄弟となり、それぞれ二百石を賜い、三
後の徳川家光の13回忌に恩赦となる。
‖
家ともに明治維新に至る。
崇貞は病死も嫡子左京を当主として岡
薫氏(三草に住み、播磨国加東、加西、多可と美濃四郡の内、一万石)
崎藩水野監物家にて客分 100人扶持
┃
(丹羽一色家)
で再興される。一色崇利は根岸と改姓
氏榮(三草に住み、播磨国加東、加西、多可と美濃四郡の内、一万石)
し、姪の子となる幼い4代喜連川昭氏を ‖
後見、側用人となり実質的な家老首座
氏福(旗本、巨勢利永三男、三草に住み、播磨国加東、加西、多可と美濃四郡の内、一万石)
として再仕。 ┃
氏昭(三草に住み、播磨国内、一万石)
(古河・喜連川一色家)